Accepted paper:

Godaigo Tenno and his princesses in Taiheiki

Authors:

Hiromi Motohashi (Aichi Prefectural University)

Paper short abstract:

後醍醐天皇は、信仰を利用しようとした人物である。彼は仏教だけでなく、天皇の役割と関わるさまざまなモノや思考について独自の考えを持っていた。特に『太平記』が語る後醍醐天皇は、そうした信仰に関する意識が極めて強く窺える。一方で、後醍醐天皇には伊勢神宮に仕える皇族女性を指す「斎宮」制度の復興を目指した記録があり、自身の娘である懽子内親王と祥子内親王を卜定している。特に祥子内親王は百首歌を奉ったとされるが、『太平記』はそれらを語らない。最後の斎宮である後醍醐天皇の二人の娘と『太平記』の語りを検討し、戦記文学における女性像について述べる。

Paper long abstract:

『太平記』は南北朝の動乱を描く。多くの登場人物がいるが、中でも後醍醐天皇をめぐる語りは、天皇という存在を改めて見つめ直す重要な言説にあふれている。それは、後醍醐天皇自身が自分の置かれた「天皇」という立場について思考し、また行動に移した存在として語られるからであった。後醍醐天皇が深く関わったのは、密教や三種の神器に代表される天皇を権威づけるモノたちだが、本発表で注目するのは、後醍醐天皇が復興しようとした斎宮制度についてである。斎宮制度は、古代から朝廷と伊勢神宮をつなぐ役職として皇族女性が派遣されたものだが、鎌倉時代には断絶が見られるようになり、特に持明院統の天皇は斎宮を置かないことが増えていた。後醍醐天皇の前には20年以上の断絶があり、卜定しても伊勢への下向に至らない斎宮も多かった。そうした中で、後醍醐天皇は自身の即位から間を置かずに斎宮を卜定しており、1330年に懽子内親王、1333年に祥子内親王、二度とも自分の娘を伊勢神宮の祭祀者として任命している。ともに下向することはなかったが、後醍醐天皇が斎宮というシステムを利用しようとしていたことは明白である。しかし、『太平記』はこうした後醍醐天皇の意識をほとんど語らない。特に祥子内親王は『新葉和歌集』に夢つげを受けて大神宮へ百首歌を奉った中の一首が載っており、父天皇の意向を受けた娘斎宮という、天武天皇と大伯皇女に代表される斎宮制度の初期の姿勢を体現しているにも関わらず、彼女をめぐる語りはほとんどないのである。こうした『太平記』の語りを手がかりに、王朝文学における斎宮をめぐる論を念頭において、戦記文学が語る、あるいは語らない女性たちのあり方について検討する。

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"Hantologie" and Narrative of Japanese War Literature